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~怪我との向き合い方~
音楽家の怪我の話はこれまでたくさん聞いた事があったが、自分には全く関係の無い話だと思っていた。しかし、"まさか、自分の身に起きるなんて。しかも2度も!" と嘆いた時にはもう既に遅かった。
子供の頃から怪我とは無縁な音楽家人生。心配する必要はないと信じていた。しかし、不安は突如として私を先の見えない暗闇の世界へと導いていった。
22歳、大学院の修士課程を間もなく卒業というタイミングでそれは訪れた。自分の指が自分のものでないように音がはまらなくなった。後に知った病名は「心因性ジストニア」イップスだ。
当時は今ほど簡単に情報が手に入る時代ではなく、プライドの高かった私は自分の身体に起きている変化を回りに相談する事もできず、ただひたすら練習を重ねて何とか一人で解決しようとしていた。努力が足りないからだと練習時間は12時間を超える事もあった。それでも一向に指が思うように動かない、それどころか酷くなっていく事に腹を立て、眠れない日々を過ごしていた。
22歳という年齢は音楽家として学ぶ事がまだまだ多い未熟すぎる年齢だ。
思えばこの時にこの病名と症状を知っていればまだ少しは救われていたのではないかと思う。
帰国後、精神的な追い込みから解放され、自分のペースというものを大切にしながら演奏活動を少しずつ再開させた。穏やかにはなったが、指は相変わらず思うように言うことはきてくれない。
どうにもならない事態に私は家族に救いを求め、誰にも何も言わず逃げるように家族のいる日本へ帰国した。幼少の頃からイギリスやオランダに住んでいた私には友人も知り合いも殆どいない日本だった。それでも辛くてとどまることができなかった。
この時私はまだ自分に起きた異変は序章でしかない事に気づいていなかった。
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